考える事の表と裏

どうも
お元気ですか

僕は最近センチメンタルジャーニー♬です 僕が作詞家なら別れから生まれる気持ちの曲をたくさん書くと思います
本当に漸くですが 身の回りの人の大切さに気付け出したので三重に行きたくないな という気持ちが募りに募っています
ここでいう 三重に行きたくない というのは正しくは 徳島を離れたくないな という気持ちです

1. それでね よく考えるんですよ 
これからみんなは僕のことなんか忘れてしまうんだろうって それは大いに構いません でも忘れられるのってとても寂しいことだなと せっかく生きているのにそれはもう生きていないのと同じだと最近思うんです
だから僕は忘れられたくないなと思うんです
こんなこと言ってる僕も直ぐに忘れてしまうんだろうなっていう危惧はしているんですけど それでも本当に忘れたくないなって思うんですよ
こういう時に 絶対忘れたくない って言うと
そら来たと言わんばかりに
絶対とか無いよ笑 
って言ってくるやつは腐る程いますが 其奴らは全員ゴミ野郎です
忘れるのはとってもやだな 感覚がだんだんと鈍るみたいですね


2. あと最近思うのが 忘れられたくない の次の話なんですけど
思い出す存在になる ということすら嫌です
それならもういっそ全部なかった事にして忘れてくれ って思います
なんなら思い出してセンチメンタルになる とかいうのも 見ていて辛いわけです
全部無かったら楽なんじゃないのかな なんて思います
今を耐えれば あと何年かすれば 笑い話や思い出し笑いができるようになるのかもしれませんが 今 辛そうにしてるのを見るのは辛いです そして僕が何もできないのも これまた辛いです 辛いことばっかです みんな幸せになって欲しいのに 辛そうなのは見たくないです
もちろん1.で述べたように忘れられたくはないですけど もし仮に 僕に忘れさせることができるなら 辛そうなのを見る方が嫌かな とか思います

でもそのあと
やっぱり忘れられたくはないかな〜ってなります

でね こう考えていると 1.と2.の考えをぐるり またぐるりと繰り返してしまうんです 抜け出せないのであります
よくプロスポーツの世界で言われる ゾーンに入った というのはこの事でしょうか

毎日のように顔を合わせて過ごしていると やはり五感が鈍るのでしょうか なんでもない日もあると感じてしまいます
そういうのが嫌いです 
僕はこの人間特有の考えがとても嫌です そんな思考を持つ僕というハードウェアも嫌いです
僕は僕がとても嫌いです
けれど本当は 僕のこの日本語力の低い 英語力の低い 僕という人格は大好きです
僕は僕がとても好きです
結局どっちなの!

失ってからその大切さに気づく という言葉が
内臓を全部吐き出すほど嫌いで 
そんな事言うやつはバカしかいないな と考えていましたが 
僕がそれになってしまいました
もう僕はどうしようもありません
ゴミです 
でも僕は僕が大好きです
絶対にこっちの考えしか無いぞ なんて思えないので 余計に自分の芯の無さを感じます

ああ 僕はいつからこんな人間になってしまったのでしょうか
と言う人間に 僕がいつも思ってた言葉があります
お前はきっと生まれた時からそういうどうしようもない人間だぞ


今の僕には少し刺激的です